fireworks 二人きりのポアロ編

「あれ、花火大会は良かったのかい?」
「うん。友達に振られちゃった……」

 いらっしゃい、と優しく微笑む安室さんは開口一番痛いところを突いてくる。案内されるがままにカウンター席へと座り、メニューを眺めていると何故か安室さんが隣の椅子を引いてそこに座った。私以外お客さんは居ないとはいえ、いいのだろうか?
 カウンターに肘をつき、蒼い瞳が興味津々といった様子で私のことを覗いてくる。何もこんなところで探偵の追求心を発揮しなくてもいいのに。

「それで?」
「え?……っていうか、安室さんお店いいの?」
「ああ、今日は花火大会だしね。もう他に誰も来ないだろうさ……それで、あんなに楽しみにしていた花火大会に行かなかったわけを聞いてもいいかい?」

 メニューを持つ手に褐色の手が重なる。頬杖をついた安室さんの身体はすっかり私の方に向きなおり、空いている方の手で私の手を優しく撫でている。安室さんの顔を見上げると、緩くその蒼い瞳を細めて微笑まれた。アイスコーヒーひとつ、とはとても言える状況ではない。はあ、と小さく溜め息を吐いて私はぽつぽつとそのわけを説明することにしたのだった。

「毎年一緒に行っていた子がね、今年は彼氏と行きたいからって……ほら、安室さんは今日もポアロでしょ?だから、他に誰も一緒に行ってくれる人いないし、今年は行くのやめようかなって」
「……新しい浴衣も買ったのにかい?」
「う、だ、だって……買った後に言われたから……そんな急に他の子見つからなかったし……」

 確かに安室さんの言う通り、今年は浴衣も新調した。買った帰りにポアロに寄って、「どんなのを買ったんだい?」と紙袋を気にする安室さんに「……内緒。花火大会の帰りに見せに来るから、それまで見ちゃダメ」と勿体ぶって言ったのに、今となってはそれも少し恥ずかしい。

「……僕、君の浴衣姿楽しみにしていたんですけどね」
「っ、」

 残念だな、と眉尻を下げる安室さんに申し訳なくなって消え入りそうな声で「ごめん……」と呟いた。重ねた手が、指を絡み合わせるように組み直される。指を絡めたままぎゅっと手を握り込まれて、褐色の指先が私を慰めるようにぽんぽんと優しく手の甲を叩いた。

「責めているわけじゃないですよ……それに、そのお陰でこうやって君と二人きりになることも出来ましたし、ね?」
「もう……」
「おや、顔が紅いですね」

 私を揶揄うように安室さんがそう戯けてみせる。「誰のせいで……!」と文句を言う私を蒼い瞳を嬉しそうに細めて安室さんがクスクスと笑った。
 実際、ひょっとしたら今なら安室さんと二人きりになれるかもと期待しなかったわけではない。淡い期待を抱きながらこのお店の扉を開いたのは事実だった。それすらもこの蒼い瞳に見透かされているようで、また少し恥ずかしくなった。
 紅く染まる私の頬の上に、先程まで頬杖をついていた手の平が伸びてくる。ゆっくりと近付いてくる端正な顔に瞳を閉じそうになりながらも、寸前のところで理性が働く。
 そのせいで、私の唇と重なる予定だった安室さんの唇は残念ながら私の手の平とキスすることになったのだった。自分の顔から私の手を退けた安室さんが私の手をぎゅっと握り締め、とてもとても綺麗な表情で笑う。目が怒っている。

「……ちょっと、何するんですか」
「それはこっちの台詞だよ。人目があるところではこういうことしないって約束でしょ……」
「花火の打ち上げもまだ終っちゃいないんだ。誰も通りはしませんよ」
「それに、誰か入ってきたらどうするの!」
「……君が来た時にクローズの札を出したので、それは問題ない、かな」

 私から視線を外すように惚けた感じでそう呟く安室さんに「もう!いつの間に……!」とその胸板を叩いた。今度は少し困った顔で笑っている。さっきからコロコロとよく表情が変わる人だ。

「ははは、痛い痛い。そんなに怒らなくてもいいじゃないですか……これも作戦のうちですよ」
「……何の」
「君と二人きりになる為のね」

 ぱちりと綺麗にウィンクをキメるキザな安室さんに呆れた視線を送る。どうやら、全て安室さんの思惑通りだったようだ。

「こんな日ぐらい、君を独り占めしたっていいでしょう?──いつも君の周りにはコナンくんや蘭さん、それに園子さんや梓さん達がいて中々二人きりにはなれないからね。僕だってたまには君を独占したい……そう思っちゃ駄目かい?」
「……駄目じゃないけど。それは安室さんも同じでしょ……安室さんだって、ポアロじゃ皆んなに囲まれてて中々ゆっくり話も出来ないじゃん。お互い様だよ」
「はは、それもそうか」

 そんな風に二人で笑い合う。この店を出れば、二人で会うことも出来るのに可笑しな話だ。最近、忙しくてお互いゆっくりと時間を取れていなかったから貪欲になっているのかもしれない。少しでも一緒にいたいと思うのは何も私だけじゃなかったんだなあと何処か胸の奥が軽くなった。

「あーあ。でも屋台の焼きそばとか、たこ焼き、それにかき氷も食べたかったなあ!」
「ふふ、何かと思えば食べ物のことかい?……花火じゃなくて?」
「勿論、花火も見たかったけど、何か屋台の食べ物って魅力的だと思わない?味だって、絶対お店で食べる方が美味しいんだけど、何か買っちゃうの!……雰囲気に呑まれてるのかな」
「確かに何となく美味しそうに見えますよね……ふふ、こんな話をしているから僕も食べたくなってきたじゃないですか」

 そうだな、と腕を組んで顎に手を当てて何やら安室さんが考え込んでいる。ひょっとして、何か作ってくれるのだろうか。

「焼きそばやたこ焼きは出来ないけれど、かき氷なら出来るかもしれませんね……食べるかい?」
「え、いいの?メニューにないよね」
「ふふ、もうクローズしてますし。サービスです……他の人には内緒ですよ?」

 喜ぶ私を見て笑顔を浮かべた後、カウンターの中へと入っていく安室さんの背中を両手で頬杖をついてじっと見守る。そういえば、今日は何か冷たいものが食べたいと思ってここに来たことを思い出した。すっかりと安室さんのペースに呑まれて、お水さえまだ出してもらっていなかったけど。そう思ったら、急に喉が渇いてきた。

「……安室さん、喉渇いた」
「おや、すみません。お水まだでしたね……はい、どうぞ」
「有難う。はあ、冷たくて美味しい……!」

 大袈裟だなあと笑いながら、安室さんは缶詰を開けて中からフルーツを取り出した。如何やらマンゴーのようだ。そのまま食べても美味しそう。包丁でカットした後、その幾つかをフードプロセッサーに入れて何か足して蓋をし、それを大きな褐色の手の平で上から押さえるようにしてスイッチを入れた。恐らくソースを作っているのだろう。その後はメインの氷だ。一度洗ったフードプロセッサーの中に何やら白い氷のようなものが投げ入れられ、それがスイッチ1つでぐるぐると一瞬にして粉々に砕かれていく。

「何かその氷、白くない?」
「おや、よくわかりましたね。実はこれ牛乳に練乳を混ぜたものなんです。フラペチーノでも作ってみようかと思いまして、試しに凍らせてみたんです……でも、かき氷もいいかもしれませんね」
「今日みたいな暑い日には売れそうだよね」

 話している間にもう完成してしまったようだ。両手にかき氷を持った安室さんが、カウンターの中から出てきて私の名前を呼んだ。

「窓側の席で食べませんか?ここからなら花火が見えるかもしれません」
「そうだね、折角だからそうしようか」
「ええ、丁度もうすぐ始まる時間ですしね」

 窓側のテーブルにかき氷を置いた安室さんがちらりと腕時計を確認しながらそう告げた。てっきり向かい合って座るのかと思っていたのに、またも隣に座る安室さんに首を傾げる。

「隣に座るの?花火見えなくない?」
「はあ……鈍いってよく言われません?」
「え?あ、花火始まったよ!」

 窓から夜空を覗き見ると色鮮やかな花火が舞っていた。ヒュ──、ドンッ!と大きな音と共に空高く打ち上げ花火がまるで大輪の花のように広がり、落ちるように散っていく。ガラス越しでこの美しさなのだから、きっと近くで見上げれば迫力もあって更に綺麗なんだろうなあ。

「口、開いてますよ」
「もう、揶揄わないでよ!」
「ふふ、それにかき氷も溶けちゃいますよ」
「……ごめん。あ、冷んやりして美味しいね」

 シャリシャリと氷を鳴らし、少しずつ掬って口に含むとミルクの優しい味が口一杯に広がる。ジューシーなマンゴーとミルク氷のバランスが絶妙で、甘過ぎずこれならぺろりと一皿食べられそうだ。美味しい。あっという間に完食だ。

「美味しいけど、一皿食べたらちょっと寒くなってきちゃった……」

 甘えるように安室さんの肩に頭を寄せる。代謝が良いからか、その身体は私よりも少し温かいような気がした。夜空に舞う花火が寄り添う私たちを照らす。私の名を呼ぶ声に、安室さんの顔を見上げて、今度こそゆっくりと瞳を閉じた。

「……本当だ、唇まで少し冷たくなっていますね。僕がもっと暖めてあげましょうか」
「うん……」

 もう一度瞳を閉じる。今度は、唇を割るように熱い舌まで入ってきて、身体の奥から暖めるように絡ませ合う。いつもよりも少しだけ冷んやりとした安室さんの両手に頬を包まれて、深いところまで舌を絡め合った。吸って、吸われて、撫で合って。次第に、じんわりと身体中に熱が広がっていく。気付いた頃には花火は終わってしまっていた。

「もう、花火終わっちゃったじゃん……それにこんな外から見えそうなところで……」
「ふふ、君も今度は目を瞑った癖に」
「そ、それは安室さんが!」
「ははは、僕が何だい?それに花火会場からここまで最低でも車で十五分はかかりますからね……渋滞を考慮してもあと三十分は大丈夫ですよ。そんなに気になるのなら、カーテンを閉めるかい?」

 私の顔を覗き込んでくる安室さんの蒼い瞳を見上げる。ん?と首を傾げて私の反応を伺う安室さんから目を逸らすと、小さく笑ってカーテンへと褐色の腕が伸びた。

「これで文句はないかい?」

 ちゅっと唇を掠め取られる。満足そうに微笑んだ後、自慢の鍛え上げられた腕に持ち上げられて膝の上に乗せられてしまった。そのままぎゅっと腰の辺りに安室さんのがっしりとした両腕が巻きつく。厚い胸板と密着してしまい、ドキリと私の胸が音を立てた。

「もう……まだ何も言ってないのに……」
「ふふ、まだ文句を言う減らず口は塞いでしまわないといけませんね……」
「んぅ!」

 結局こうなるのだ。安室さんって意外とキス魔だよなあと、深くなる口付けに流されながら頭の片隅でどこかぼんやりと思ったのだった──。


「そういえば、来週の土曜日って空いてます?」
「土曜日?」
「ええ。少し遠いんですけど、花火大会があるみたいで……折角なので、僕と今日のリベンジしませんか?」
「え、いいの?……お仕事は?」
「今日入るかわりに、来週の土曜日はお休みなんです。確か、君も休みでしたよね?」

 安室さんは本当に記憶力がいい。確かに、以前会話の流れで来週の土曜日が休みだと話した覚えがあった。ひょっとして、お休み合わせてくれたのかな。こんな些細なことさえも嬉しくなってしまう。

「うん、休み。でも、お外でデート……いいの?」
「ここから少し距離もありますし。君にはいつも我慢をさせていますから偶には、ね……と格好をつけたいところですけど、まあ君の浴衣姿が見たいっていうのが僕の本音です」
「ふふ、何それ」

 そう二人で笑い合って、もう一度触れるだけのキスをした。唇が離れた後、私の頬を両手で包み込んだ安室さんの蒼い瞳が愛しげに目尻を緩める。

「で、僕としてくれますか?──浴衣デート」

 優しく頬を撫でる褐色の手に手を重ねて、安室さんと同じような表情を浮かべて頷いたのだった──。