キスの日

「あむぴ、今日キスの日だって!だからキスしよ~!」
「こらこら、僕みたいなおじさん捉まえて何言ってるんですか……」

 大人を揶揄っちゃダメですよ、と苦笑交じりにJKを注意する彼を横目で見ながらアイスコーヒーを啜っていると、私の隣で同じものを飲んでいるコナンくんと目が合った。言葉には出さないが「アレ、放っておいていいの?」とでも言いたげな表情だ。私に聞かないでよ。
 ボックス席は今もJKたちの楽しげな声が響いている。学校帰りだろうか、衣替えをしてすっかり布面積の少なくなった制服に身を包んだ女の子の一人が彼の腕に手を伸ばして「え~、じゃあ投げキス!投げキスでいいから!あむぴお願い!!」なんて食い下がると、残りの女の子たちも彼女に同調して更に賑やかになった。

「もう、他のお客様のご迷惑になりますから……一回だけですよ?」

 キメやがった。こいつキメやがったぞ!
アイドル顔負けのウィンクとともにちゅっと片手で投げキスをする安室さんにJKたちが黄色い声を上げてより一層騒がしくなったのは言うまでもない。思わずコナンくんと二人、ジト目で安室さんを見つめてしまったが、私たちは何も悪くない筈だ。

「お姉さん、目が死んでるよ……大丈夫?」

 引き攣った笑みを浮かべて小声でそっと話しかけてくるコナンくんに肩を落としてみせると「ハハ……元気出して」と雑に慰められた。小学生に慰められる大人ってどうなの。そんな私を嘲笑うかのようにグラスの中の氷が解けはじめカランっと音を立てた。はあ、やってらんない。

「浮かない顔ですね……どうかしましたか?」
「……それ、安室さんが言っちゃう?」

 先程までJK相手に愛想を振り撒いていた某29歳アイドル店員は、カウンターに戻ってくるなり不機嫌な私の様子を見て不思議そうな表情を浮かべてそう言った。その問いかけに、隣に座るコナンくんがすかさずツッコミを入れる。オメーが言うなとでも言いたげな表情で。
 安室さんの探るような視線を受け流し、私は不機嫌さを隠す素振りも見せずに薄くなったアイスコーヒーをストローで吸い上げる。

「……僕、何かしたかな?」

 安室さんは苦笑気味にそう溢し、頬を搔いた。

「人気店員さんは大変ですね」

 笑顔で嫌味を返す可愛くない私に、漸く合点がいったのか何故か目の前の彼は一人笑みを深めている。面白くない。

「見てたんですか……先程の。恥ずかしいな……」
「まるでアイドルみたいでしたよ。やっぱり顔がいいと何でも様になっちゃうんですね」
「もう、そんな意地悪言わないで下さいよ。僕だって好きであんなことしたわけじゃ……」

 いや、随分とノリノリだっただろうよ。
隣に座るコナンくんも同意見の様で、思わず二人して顔を見合わせてしまった。

「あむぴ~、お会計して~!」
「ほら、お呼びですよ。アイドル店員安室さん!」
「だから揶揄わないで下さいって!」

 少し拗ねながらも、「はい、ただいま!」と元気な声でレジに小走りで向かう彼の切り替えの早さに可笑しくなって笑っているとレジに立つ安室さんと一瞬目が合った。まるで笑うなとでも言いたげな顔だ。すっかり機嫌が良くなった私に隣に座るコナンくんが「ボクには女の人ってまだよくわかんないや……」と零すものだから、その丸い頭をぐりぐりと撫でてあげた。いつもは大人っぽいのに、こういうところはまだまだお子様だ。

「随分と仲が良さそうですね……妬けちゃうな」

 撫ですぎてぐちゃぐちゃになってしまったコナンくんの髪を整えてあげていると、レジから戻ってきた安室さんがそう呟いた。悪戯心が湧き、子ども特有のその柔らかな頬に頬を寄せて話しかける。さあ、精々嫉妬しろ安室透よ。

「仲良しだもんね!あ、そうだ。今日キスの日なんだっけ?……仲良しついでにお姉さんとちゅうしちゃう?」

 茹蛸よろしく真っ赤になるコナンくんの頬を両手で包みこんで、眼鏡の奥の瞳を覗き込んでいると褐色の大きな掌が割り込んできて唇を覆われた。

「……わるふざけが過ぎますよ」

 にっこり笑っている筈なのに、全然目が笑っていない。薄らと怒りの浮かぶ蒼い瞳から目が離せない。眼鏡の少年から引き離した指が、悪戯に私の唇をなぞり離れていく。まるで“僕の唇だ”とでも言いたげな仕草だ。思わずときめいてしまったのは不可抗力、仕方がなかった。

「もうすぐ上がりなので、待っていて下さい……送っていくので」

 空になったグラスを見ながらそう告げる安室さんを見上げているとバックヤードから梓ちゃんが入ってくる音が聞こえた。

「じゃあ、ボクももう帰ろうかな……」

 せめてものお詫びにコナンくんの分は私が払うことにした。「ご馳走様でした!」ときちんとお礼をして帰っていくコナンくんに手を振り見送っていると、すっかり帰る支度をした安室さんが現れてカウンター席に置いてあった私の鞄を持ち上げた。

「僕たちも帰りますよ……荷物、これだけですか?」

 するりと私の腰に腕を回し「お疲れ様です」と梓ちゃんに告げ足早に出口の方に向かう安室さんのせいで梓ちゃんとは少しもお話出来なかった……。未練がましく振り返って梓ちゃんに手を振っていると「え?二人ともそういう関係だったの!?」と騒いでいる声が聞こえた。

「ほら、早く行きますよ」

 尚も急かしてくる安室さんのせいで、きっと次にポアロへ来る時は梓ちゃんに質問攻めされるだろうな。店内は、ピーク時を過ぎた為か、梓ちゃん以外誰も居なかったのが幸いだった。

 ◇◇◇

「そういえば、今日はキスの日……でしたっけ?」
「わかってて聞いてるでしょ」
「ふふ、さっき僕を揶揄った仕返しです。コナンくんとキスするなんて言い出した時にはどうしてやろうかと思いましたよ……もうあんな悪戯はやめてくださいね?」
「じゃあ、安室さんも軽々しく投げキスなんてしないでね」
「ははっ、わかりました。……僕の唇は君だけのもの、ですもんね?」

 すっとその蒼い目を細めて、私を揶揄うようにトントンと自身の唇を指差し、小首まで傾げる。そんな安室さんの胸板を「もう!」とひとつ叩いても彼は笑みを深めるだけ。

「で、します?僕とキス……」

 厚い胸板に置いた手を取られて顔を近付けてくる安室さんに頷く以外の選択肢は生憎持ち合わせていなかった。

 ◇◇◇

「んっ……誰かに、見られたらっ、どうするの?」
「誰も見ていやしませんよ……だからこっちに集中して……」

 じゅるっと音がする程に舌を吸われて上顎を舌で擽られたり、歯列をなぞる様に口内を好き勝手に動きまわる安室さんの大きな舌。

「舌、出して……」

 言われるがままに少し舌を出すと、絡みとられて互いの舌を擦り合せるかのように口付けられる。狭い車内に二人の舌を絡み合わせる音と、漏れる吐息だけが響いていた。舌を安室さんに食べられてしまうんじゃないかというぐらいくちゅくちゅと絡め合わせられて、助手席に座る私に覆い被さるようにしてキスを交わす安室さんの手が今度はさわさわと身体のラインをなぞり始める。掌が行ったり来たりする度にピクッと震えてしまう。くすくすと笑いながら執念に舌を絡めてくる安室さんに息も絶え絶えになりながらも弱く抵抗した。固くなったそれをぐりぐりと押し付けて「……駄目?」と聞いてくる彼に流されそうになるが、流石に場所が場所だ。
 ……ポアロの駐車場で、なんて誰かに見られでもしたら恥ずかしくてもう二度と来れない。揺れる車体を想像し、いやいやと頭を振れば漸く諦めてくれた安室さんは「……っ、仕方ありませんね……続きはうちでしましょうか」と頬をそっと撫でて離れていった。じんわりと汗ばむ肌に下着だけが少しひんやりとまとわりついてなんだか落ち着かない。早くシャワー浴びたいな、と考えつつもシフトレバーに手を伸ばす安室さんを見ながらシートベルトに手を伸ばしたのだった──。