日本人は何かと語呂合わせが好きな民族だ。縁起担ぎであったり、言葉遊び、歴史の年号や企業の電話番号など数字を暗記する時にも用いられている。
──いい国作ろう鎌倉幕府、いちごパンツの織田信長。いくら派手好きの織田信長と言えども、いちごパンツは無理があり過ぎるだろう。これじゃ1582年に何が起こったのかわからないじゃないか。
そういえば、学生時代の景もそんなようなことを嘆いていた気がする。
「なあ、ゼロ。さっきの歴史のテストどうだった?」
「僕はまあ……ボチボチかな。大体予想通りの内容だった。そういう景はどうなんだ?」
「お、俺?いちごパンツの織田信長が一体何をしたのかさっぱり思い出せなくて、気付いたらテスト終了の時間だった……」
「ったく、本能寺の変だろう?」
「あ──!それ、それだ!俺、どうしても思い出せなくて大化の改新って書いたんだけど、やっぱり違ったか……」
「……大化の改新は645年。景、君……ちゃんと勉強したのか?」
呆れる僕に、苦笑いの景。懐かしいな、もうあれから何年だ?僕たちの頃は1192年だった鎌倉幕府成立の年も、最近の教科書だと1185年になっているという。
「ねえ、安室さん知ってた?さっきコナン君から聞いたんだけど……」
「ん?どうかしましたか、名前さん」
8月に入り、ポアロの店内も夏休みの子供たちや家族連れで溢れ返る日が多くなった。皆、思い思いの夏を過ごしているようで、海水浴やキャンプ、BBQに出掛けてすっかりと日に焼けている子も少なくない。
僕も子供の頃は景とよく遊びに出掛けたなと懐かしい気分に浸っていたところに、名前さんが空の食器を持ってカウンターの中へと戻ってきた。ピークを過ぎたポアロには、お馴染みのコナン君とその他に常連客が数名。店内は漸くいつもの落ち着きを取り戻し始めたようだった。
スポンジ片手に手を泡だらけにした名前さんが、僕を見上げて問いかける。綺麗にカーブを描く睫毛や、艶々と色付く唇に気を取られてしまいそうだ。流石にポアロの中で彼女に触れることは無いが。
僕のそんな気持ちも知らず言葉を続ける名前さんに、僕はいつものポーカーフェイスを演じる。これも最早癖みたいなものだった。
「語呂合わせってあるでしょ?8月6日だからハムの日、とかさ。安室さんが学生の頃って、鎌倉幕府どうやって覚えた?」
「そうですね……いい国作ろう鎌倉幕府、ですかね。メジャーな語呂合わせですが」
「そうだよね!“いい国作ろう”だよね!でも、今の教科書じゃ違うんだって」
「ああ、そう言えば何年か前にニュースにもなりましたね。1185年、でしたっけ?」
「そうそれ!さっきコナン君から教えてもらってビックリしちゃった!今は“いい箱作ろう鎌倉幕府”って覚えるみたいだよ。やっぱ安室さんって何でも知ってるんだね」
流石、探偵!だなんて大袈裟に僕を褒める名前さんの言葉に、僕は照れ笑いを返す。それと同時にちょっとした疑問も頭に浮かんだ。
「でも、おかしいですね。鎌倉幕府を授業で扱うのは早くても小学6年の筈ですが……どうしてコナン君がそれを知っているんだい?」
「ら、蘭姉ちゃんの教科書を見たおじさんが言ってたんだ。俺の頃は1192年だった筈だぞ、この教科書印刷ミスじゃねえのか?って」
「……なるほど。中学の教科書で鎌倉幕府成立の年号が変更されたのは確か2006年。それ以前に習った毛利先生と、教科書が訂正された後に習った蘭さん。小学校高学年の授業で軽く取り扱った後、中学、高校と更に詳しく習うんでしたよね。日本史Bの教科書ってことかな?」
「た、多分それだと思うけど、ボクよく覚えてないや……」
もう!あんまりコナン君を苛めないの!と僕の腕を引っ張る名前さんの手前、この少年にこれ以上の追求は出来そうもないな。先程まで食器を洗っていた手は、少し冷んやりとして気持ちが良い。
「コナン君がいくら賢いからって、まだこの子は小学生なんだよ?大人の安室さんが苛めちゃダメ」とコナン君の肩ばかり持つ名前さんに、僕は苦笑を浮かべて「すみません……」と頬を掻く。
いつだって彼女はコナン君に甘い。頭の良いこの少年ならその必要も無いだろうに、先程も「お姉さんが、宿題見てあげよっか?」とにこにこ話しかけていた。
「最近の小学生の夏休みの課題って結構難しいんだね……」と早々に根を上げていたが。
そんな彼女も可愛いと思ってしまうのは、きっと惚れた弱みだろう。名前さんとの間に将来子供が出来たら、こんな感じなのかと頬を緩める僕を見て彼女もまた「何、笑ってんの」と笑顔を浮かべていた。
そんな僕たち二人にコナン君の呆れた視線が飛ぶ。ハァ、とコナン君の大きな溜め息が溢れたところで、入口のベルが誰かの来店を知らせた。
「コナン君、お待たせ」
──蘭さんだった。どうやらコナン君のお迎えが来たようだ。
◇◇◇
「そういえば、今日ハートの日なんだってね」
「ああ、確かポアロに来た女子高生たちがそう言っていましたね」
「……本当、女子高生に人気なんだから。変な気起こさないでよ?」
部屋着姿でハロを抱き、少し不満げな顔でそう零す名前さんを背中から抱きしめる。彼女が嫉妬するなんて、珍しいな。少し嬉しいとすら思えてしまう。
畳の上に座る彼女を包み込むように腕の中に閉じ込めて、彼女の肩に顔を埋めると僕と同じ石鹸の匂いがした。「……ねえ、聞いてる?」と僕を振り返る名前さんの声に、腕の力を強める。
「……ちゃんと聞いてますよ。君以外に僕が変な気なんて起こすわけないじゃないですか」
「私にも変な気なんて起こさなくていいよ……」
「連れないこと言わないでください……それに名前さんだって、今日もまたあの刑事さんに話しかけられていましたよね」
僕の脳裏に夕方見たばかりの嫌な光景が浮かぶ。何が「名前ちゃんのスマイル1つ」だ!ポアロはマクドナルドじゃないんだぞ。
「あの人は女の子なら誰だっていいんだよ。この前は梓ちゃんのこと口説こうとしてたじゃん」
「……だとしても、僕は嫌だ」
あの男、確か捜査二課だとか言っていたな。女の尻ばかり追いかけていないで、キッドでもなんでも早く捕まえたらどうなんだと心の中でぼやく僕の鼻先にひんやりとした物がくっ付けられた。……ハロの肉球だ。
「ちょっと名前さん……何するんですか」
「いつまでも拗ねてるからハロの肉球パンチ」
ハロの前脚で僕の顔中を突いてくる名前さんのせいで、僕の不満もどこかに飛んでしまいそうだ。ハロも彼女に抱かれてハアハアと舌を出して喜んでいる。きっと遊んでもらっているつもりなんだろう。
「アンッ!」
「ハロも楽しそうにしてるんじゃない──ったく、君たちは僕の気も知らないで……」
「そんなジト目浮かべないでよ……こうなったら最終手段だ、ハロ!」
「わ、ちょっと!ハロを押し付けないでください!……ふふふっ、擽ったいじゃないか。こら、ハロそんなに舐めるな……ハハッ」
いつの間にか畳に倒れ込んでしまった僕の口元をハロがペロペロと舐めてくる。僕の顔面にハロを押し付けてきた張本人は、僕の腰の上に座り込んだままクスクスと笑い声を上げてやけに楽しそうだ。
「随分と楽しそうですね、お陰で僕はハロの涎まみれだ」
「あ、ちょっとやだ!んぅ、」
嬉しそうに尻尾を振っているハロを僕の上から下ろして、名前さんの細い腕を引っ張ってその唇へと口付ける。
「ん、もう……なんか獣臭がする……私までハロの涎で顔がベトベトになっちゃったじゃない」
「ふふ、仕返しですよ」
「あ、ちょ、ハロまで……!ふふ、やだペロペロしないでっ、」
ハロに顔を舐められ擽ったいと身を捩る名前さんを抱き締めながら、まあ語呂合わせも悪くないなと思ったのだった──。