カジノタワーの後で

 全てはこの国を守る為に──。
そうは言っても、建設中のビルから乗用車で飛び出すなど誰が想像出来た?モノレールとカーチェイスをするなど言語道断。いや、車両とはいえ相手はモノレール、“カー”チェイスと呼んでいいものか甚だ疑問である。
 それまで軽快なリズムを奏でていたキーボードを打つ手がぱたりと止まる。果たして今回は何処まで経費が落ちるのだろうか?カプセルの軌道を変える為の爆薬は公安が押収したものを使用したから経費は掛からないとしても、あの車の修理費は?そもそもあの状態で修理出来るのかも怪しいところだ。
 廃車にでもなったとしたら、あの上司はまた同じ車種を探すのだろう。2002年8月に生産を終えた3代目FD3S型は、中古でも状態の良いものを買おうと思えばそれなりの値段になる。
 RX-7のロータリーエンジンは魅力のひとつでもあるけれど、裏を返せば燃費も悪いし壊れやすくメンテナンス費も掛かるという難点もある。それなのに何故この車に拘るのだろうか?そう疑問に思い、降谷さんに聞いてみたことがあった。

「何故って?──好きなものに理由がいるか?僕は一途なたちでね」

 安室透宜しくウィンクをキメる降谷さんに、ドギマギしたのを悟られないように咳払いで誤魔化したのを思い出す。
 そんなことよりも、今は目の前の仕事だ。修理費を申請するとして、理由は?大体、建設中のビルから乗用車が飛び出した前例も、ましてやモノレールの上を走った前例などある訳もない。
 思わず頭を抱えて溜め息を吐いたところで、背後に誰かの気配を感じて振り返る。そこには左肩を押さえて、全身ボロボロになった降谷さんが立っていた。

「ッ……!悪い、名字……手当を頼めるか?」
「降谷さん!?ちょ、ちょっと病院行ってくださいよ……!」

 隣の風見さんの席に座り込み、左肩を押さえたまま痛みに苦しむ降谷さんのことを放っておける筈もなく、慌てて救急箱を探すべく席を立った。血の滲む黒のジャケットとオフホワイトのニットを剥ぎ取る勢いで脱がし、傷口に消毒液を容赦なくぶっかける。

「──ッ!!!」

 降谷さんの反応を無視して、脱皮綿で傷口をポンポンと押さえていると、奥歯を噛み締め痛みに堪えている降谷さんに「お、おい!もうちょっと優しく出来ないのかっ……!」と睨まれた。そんな顔したって怖くない。

「態とですよ」
「ったく、君なあ……!」
「はい、これで終わりです」

 ガーゼの上から包帯を巻き、治療終了の合図代わりにそこを軽く叩くと、余程痛かったのか降谷さんは顔を歪めてビクッと飛び上がった。

「もう少し怪我人に優しく出来ないのか、君は……」
「優しくして欲しかったら、警察病院にでも行ってください……降谷さんのせいで、仕事は山積みだし……」
「……悪かったよ」
「本当に悪いと思ってます?大体、どうしたらモノレールの上を乗用車が走るだなんて状況になるんですか!?こんなの、上にどう報告したら……!前例が無さすぎて書類作るのだって、ひと苦労なんですからね!」

 声を荒げて怒る私に、降谷さんは気不味そうに頬を掻く。

「大体ここに戻ってくる余裕があるのなら、病院に行けばいいじゃないですか!ちゃんと後で病院に行ってきちんと手当してもらって下さいよ!」
「そう怒るな、名前……」
「名前で呼んでも駄目、許してあげないんだから……本当にどれだけ心配したかと……!」

 自分を顧みない人だから、待たされる側はいつだって不安しかない。降谷さんの実力は勿論充分すぎるくらいにわかっているけれど、それでも心配にもなる。だから言葉だって強くなってしまう。

「仕方がないだろう、一刻も早く君の顔が見たくなったんだから」

 そんな私の不安さえも全て包み込むように伸びてくる腕に、これ以上は文句も言えそうにもなかった。いつものように強く抱きしめるものだから、肩に痛みが走ったようで顔を引き攣らせながら小さく痛みを訴える降谷さんに呆れた顔を返すのくらいは許されるだろう。

「これからはもう少し自分の心配もしてくださいね……」
「……善処する」
「もう……でも、無事で良かったです」

 そう本音を零し、近付いてくる綺麗な顔に私はゆっくりと瞳を閉じた──。